椎名林檎と私

記念すべき第一回目の投稿にこの題材を選ぶのは些か勇気のいることではあったが、椎名林檎の歌唱力の高さについてはテン年代という大きな括りで見ても頭一つ二つ抜きん出ていることは疑う余地のない真理だ。

そんな彼女について考察することに、少しばかりの気恥ずかしさを覚えながらも、音楽を齧っている以上はその実力を承認せざるを得ない。

ただ、今回はその話ではなく、その前提に於いて、親愛なる読者諸君に壮大な問いを投げかけたい。

椎名林檎はメンヘラであるか。」
 
これは本日、千葉県成田市にて、ふと「ここでキスして。」を聴きながら、冒頭の歌唱力の件と同時に浮かんだ(当初は)自分自身への問いである。椎名林檎に「ここでキスして。」と囁かれた場合を想定して、男の子は断れるのか否か。今回はこれが最初のテーマだ。
 
世の男性が日々何を考えて生きているのかは想像に難くないが、それでもこれは答えに差が出るだろうと感じた。僕は「ここでキスした場合、今後の自分の人生にどのような影響があるか」という考えへと移行した。そこからメンヘラ云々への理論飛躍は、むしろ自然なことだと思う。
 
「結局、林檎ちゃんはメンヘラなの?」
 
その解によって、林檎ちゃんから囁かれた
「ここでキスして。」への答えが変わってくるのだ。
 
ダラダラと前置きしたが、
結果、僕の答えはNOであった。
 
椎名林檎はメンヘラではない。僕の魂がそう叫んでいる。(叫びたがっている?)それどころか、メンヘラ御用達ソングを18年に亘って生み出し続けている天才・椎名林檎こそ、メンヘラと対極に位置する存在なのだ。
 
善の反対は悪であるように、(善の反対はまた別の善、理論は今回無視する)、メンヘラを生み出しながら、同時にそのメンヘラを駆逐する血清こそが椎名林檎女史なのである。
 
そこに意図があったかはさておき、自身を“メンヘラの女王”としてブランディングしつつも、一方でメンヘラをあぶり出す“メンヘラホイホイ”としての仕事を全うした彼女の功績は大きい。これは、超一流のスパイの仕事である。
 
ーー奇しくも、人類を滅亡させるほどのウイルスを開発したのが、そのウイルスの治療薬を製造している大手製薬会社、というあらすじの某スパイ映画(パート2)に酷似している。ーー
 
ジェームズボンド君然り、(上記の某イーサンハント君は、劇中、少々感情的な心理描写が散見されるが)スパイは私情を挟まない。愛した女が次々死んでいくのが、自分の背負った十字架であるかのように、静かにその運命を受け入れるのだ。
 
対して、メンヘラは私情の塊。自分が世界の中心だ。
椎名林檎=スパイという方程式をもとにこれを紐解いてみると、スパイとメンヘラが対極であるが故、必然的に椎名林檎とメンヘラは対極の存在となる。
 
優秀な読者諸君。
君たちには易しすぎる問いだっただろうか。
なお、これはあくまで「メンヘラ」に重点を置いた仮説であり、一人の人間として椎名裕美子さんが“正常”かどうかとは全く別の議論である。
 
むしろその答えの方が明確で、あんなのは“異常”に決まっているのだ。敬愛なる“メンヘラの女王”に愛を込めて、批判を恐れずに断言する。