年の瀬にふと考える、お話

帰省という作業がはじめて発生したのは、

僕が大学生になった2009年だった。

 

そこから更に7年が過ぎ、

今年も僕は埼玉県をぶった切る電車で、

年の瀬の足音を聞きながら、

こうして人生について考えるなどしている。

 

日々、無意識に生きている訳ではないが、

日常に忙殺され、このように何かひとつの事象に

想いを馳せる機会はそう多くない。

 

何が嬉しいかと問われれば、

何も嬉しくはないと答えるだろうし、

何が悲しいかと問われれば、

何も悲しくなどないと答えるだろう。

 

ただそこには、自分という意識が、

物質的実体としての自分を通じて、

喜んだり悲しんだりした1年が確実に存在している。

 

それに対して、御託を並べ立て、

一寸でもそれらしい形で新年を迎えようという

そういった類の取り組みである。

 

今年も大いに良いことをしたし、

大いに悪いこともした。

大いに金を使ったし、

貯金をはじめてみたりもした。

 

それだけのことを365日かけて、

せっせと行ってきた僕に、

輝かしい2017年が待ち構えていることは、

誰の目にも明らかだろう。

 

余談だが、僕は日本の文壇の最高峰に名を連ねる

約5名ほどの文章技法を完全に会得している。

 

活字のデパートとしての仕事が、

来年も僕を待ち構えていることは、

この奇妙な人生においてそう悪くないことだ。

的な。

 

p.s.

長時間の電車移動に耐えうるため、

楽な格好での帰省を試みるぼくは、毎年年末、

図らずもヨウジヤマモトやリックオウエンスに

陶酔する田舎者に成り下がる。

 

こんな格好で上越線に乗っていては、

地元のチンピラにカツアゲされるのも時間の問題だ。

 

それでは、皆々様

良いお年を。

"モードの帝王"のお話

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続、という伏線をぶった切っておりますが、自分なりに「サンローラン」の感想を忘れないうちに記しておこうという思惑で、本当は下書き機能もあるのですが、これを挟んでP-Nutの話をなかったことにしようという魂胆であります。

 

ピエール・ニネ主演の「イヴ・サンローラン」ではなく、ギャスパー・ウリエルの「サンローラン」ですので、お間違いなきよう。

 

別にかしこまって映画レビューをするつもりもなく、「※ネタバレ注意」などと大袈裟なタイトルにもしていないので、時系列順にサンローラン氏の軌跡を辿ることもなければ、映画の技法についても触れるつもりはありません。

 

まず、僕の知る限り2010年から立て続けに3本のサンローラン映画が公開されています。

 

多い。

 

2012年にエディ・スリマンがサンローランのクリエイティブディレクターに再就任し、その後の数々の改革により、常に話題を呼んでいたのは確かだが、ペースが早すぎる。

 

前述のイヴ・サンローランとサンローランの公開には1年しか間が空いていない。

 

 

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ここまで下書きして、放置し続けたことは優秀な読者のみなさまの想像に難くないだろう。

 

感想を書く前に忘れてしまった。

頑張って復帰するのだ。

僕はP-Nutになりたかったお話

社会人になって、「昔バンドやってた」大人に数え切れないほど遭遇した。

昔バンドやってた芸人も成り立つほど、自己紹介の常套句として用いられる魔法の言葉だ。

 

かくいう僕も、もれなく「昔バンドやってた大人」になり腐ったわけだが。

 

しかし、この言葉は用いられる頻度や口触りの良さとは裏腹に、恐ろしいほど中身のない言葉でもある。

 

"健全な"男子中高生であれば、(仮に本人ではなくとも)一度は経験するであろうバンドブームは、中長期的に見た人生レベルの風物詩ともいえるものであり、童貞喪失に並ぶ一種の登竜門的な役割を果たしていると僕は思う。

 

母数が多い故、その言葉はより抽象的に、より当たり障りのないものへと変化したのだ。

 

僕はこの風潮に一石を投じたい。

僕は「昔バンドやってた大人」ではなく「P-Nutになりたかった大人」なのだと高らかに宣言しよう。

 

こんな夏の日にはナンバーガールを思い出すお話

「今年は空梅雨らしい」と

電車で隣に座ったオバサマ2人組が話していた。

1ヶ月ほど前のことだ。

 

それなりに雨は降ったし、低気圧の影響で

例に漏れず頭痛薬の消費量が増えたが、

陰鬱な6月は過ぎ去った。

 

正式には、今年の関東梅雨明けは

7月中旬とのことだが、これだけ暑い日が続くと、

そんな学術上の"決まりごと"は、

ほとんど意味を成さないと感じる。

 

少なくとも僕個人で形成される小さな世界では、

間違いなく「赤いキセツ」が到来を告げた。

 

またナンバーガールの季節がやってきたのだ。

今日から三週間目覚めちゃダメなお話

また、異動の季節がやってきた。

 

現在、勤務している某広告会社には、

昨年の8月に中途社員として入社したため、

また、というのは厳密にはlieになるのだが、

こう見えて僕も社会人歴4年目の大ベテランだ。

 

匠の技が光る、大ベテランである。

光る、匠の技だ。

 

4年も働いていれば、色々なことがある。

そんな僕が、人事異動に「NO」を突き付けた

超ゆとりエピソードをあげれば枚挙にいとまがない。

 

引越しや定期券の買い替え、通勤時間の変動など、

あれこれケチをつけて、結局、前の会社では

異動せずに、本社に居座り続けた。

 

継続の勝利だ。

 

 

今年もまた、異動の季節がやってきた。

 

センチなお話

髪を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘘だ。

このところ、外見への配慮が欠落している。

最後に鏡を見たのはいつのことであろうか。

もちろん、社会人として最低限、髭を剃るとか、

シャワーを浴びるとか、歯を磨くとか、

そういったことはできているはずなのだが。

 

温度と湿度の急上昇に伴い、

スーツを着ることもなくなり、

当初は自分だけがルンペンスタイルで出勤することに

幾ばくかの後ろめたさを感じていたが、結局、

毎日フレッドペリー☆ラブみたいな生活を続けている。

 

そんなことをしていたら、昨日、各方面から一斉に

「いつもFred Perryですね!好きなんですか?」

といった指摘を受ける一幕があった。

 

慣れとは恐ろしいものだ。

 

勇気を出して何かを変えて、自分にとって

完全な習慣となった頃に、

他人は初めてその変化に気付くという事実に

改めて打ちのめされた花金であった。

 

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話は変わって、

懲りずにまた転職活動をしている。

大多数の中の、小さな小さな存在。

それを目指して、今の会社に転職した。

同業の中で、最も社員数が多い会社。

2015年8月のことだ。

 

知名度もそこそこあり、

有能な人材が集まっているであろう会社で、

自分という要素を極限まで薄める作業に取り掛かった。

 

何をどうやったって敵わないような奴らに

完膚なきまでにボコボコにされたかった。

歯車としてしか作用できない生活を送りたかった。

 

しかし、その努力も虚しく、

僕はまた転職活動をしている。

今さら何を目指せば良いのかもわからない。

 

ふと、こんなフレーズを思い出す。

 

行くあてはないけど ここには居たくない

イライラしてくるぜ あの街ときたら

幸せになるのさ 誰も知らない 知らないやりかたで

 

無事に健康診断が終わり、

懸念されていた心電図にも異常は見られなかった。

これで心おきなくタバコが吸えるぜ。

ベンジーが肺に移ってトリップするのだ。

椎名林檎と私

記念すべき第一回目の投稿にこの題材を選ぶのは些か勇気のいることではあったが、椎名林檎の歌唱力の高さについてはテン年代という大きな括りで見ても頭一つ二つ抜きん出ていることは疑う余地のない真理だ。

そんな彼女について考察することに、少しばかりの気恥ずかしさを覚えながらも、音楽を齧っている以上はその実力を承認せざるを得ない。

ただ、今回はその話ではなく、その前提に於いて、親愛なる読者諸君に壮大な問いを投げかけたい。

椎名林檎はメンヘラであるか。」
 
これは本日、千葉県成田市にて、ふと「ここでキスして。」を聴きながら、冒頭の歌唱力の件と同時に浮かんだ(当初は)自分自身への問いである。椎名林檎に「ここでキスして。」と囁かれた場合を想定して、男の子は断れるのか否か。今回はこれが最初のテーマだ。
 
世の男性が日々何を考えて生きているのかは想像に難くないが、それでもこれは答えに差が出るだろうと感じた。僕は「ここでキスした場合、今後の自分の人生にどのような影響があるか」という考えへと移行した。そこからメンヘラ云々への理論飛躍は、むしろ自然なことだと思う。
 
「結局、林檎ちゃんはメンヘラなの?」
 
その解によって、林檎ちゃんから囁かれた
「ここでキスして。」への答えが変わってくるのだ。
 
ダラダラと前置きしたが、
結果、僕の答えはNOであった。
 
椎名林檎はメンヘラではない。僕の魂がそう叫んでいる。(叫びたがっている?)それどころか、メンヘラ御用達ソングを18年に亘って生み出し続けている天才・椎名林檎こそ、メンヘラと対極に位置する存在なのだ。
 
善の反対は悪であるように、(善の反対はまた別の善、理論は今回無視する)、メンヘラを生み出しながら、同時にそのメンヘラを駆逐する血清こそが椎名林檎女史なのである。
 
そこに意図があったかはさておき、自身を“メンヘラの女王”としてブランディングしつつも、一方でメンヘラをあぶり出す“メンヘラホイホイ”としての仕事を全うした彼女の功績は大きい。これは、超一流のスパイの仕事である。
 
ーー奇しくも、人類を滅亡させるほどのウイルスを開発したのが、そのウイルスの治療薬を製造している大手製薬会社、というあらすじの某スパイ映画(パート2)に酷似している。ーー
 
ジェームズボンド君然り、(上記の某イーサンハント君は、劇中、少々感情的な心理描写が散見されるが)スパイは私情を挟まない。愛した女が次々死んでいくのが、自分の背負った十字架であるかのように、静かにその運命を受け入れるのだ。
 
対して、メンヘラは私情の塊。自分が世界の中心だ。
椎名林檎=スパイという方程式をもとにこれを紐解いてみると、スパイとメンヘラが対極であるが故、必然的に椎名林檎とメンヘラは対極の存在となる。
 
優秀な読者諸君。
君たちには易しすぎる問いだっただろうか。
なお、これはあくまで「メンヘラ」に重点を置いた仮説であり、一人の人間として椎名裕美子さんが“正常”かどうかとは全く別の議論である。
 
むしろその答えの方が明確で、あんなのは“異常”に決まっているのだ。敬愛なる“メンヘラの女王”に愛を込めて、批判を恐れずに断言する。