ぼくたちは大人になれなかった、お話

新宿駅の13番ホームから階段を駆け上がり、

東南口の改札へと向かう。

 

改札を出る。

どうやら雨が降り始めたようだった。

 

傘を差すほどでもない雨の中、

にわかに浮き足立ったぼくたちは、

吸いたくもないタバコに火をつける。

 

雨とタバコの匂い、人々の話し声、

客引き防止のアナウンスが一体になって、

自分が新宿にいることを実感させられる。

 

ぼくにとっての東京とは新宿だった。

渋谷でも原宿でも、もちろん東京でもなく。

この街が、僕にとっての世界の中心だったんだ。

 

ぼくたちは中央線に乗って

久しくおブログを更新していなかったのは、

ぼくが「活字の練習」と銘打つこの行為を

仮にサボっても、世間に有意義たる文章を

お披露目できる物書きになったからではなく

 

これはつまり多忙に多忙を極めた悲しき

サラリー戦士のドキュメンタリーなのだ。

 

書くことがない日もあれば、

重ねて書く時間や書く端末がない日もある。

 

そんなぼくがようやく重い腰を上げて、

くるりをBGMに市ケ谷駅前のルノアールで、

こうして日本語に向き合っているのは、

もう仕事で千代田区に出向くことがなくなるから。

 

無粋なことを言えば正確には総武線なのだが、

 

あの頃のぼくらは中央線に乗って

世界中どこだって行けていた。

そんな気がした。f:id:dr3081:20170627135817j:image

年の瀬にふと考える、お話

帰省という作業がはじめて発生したのは、

僕が大学生になった2009年だった。

 

そこから更に7年が過ぎ、

今年も僕は埼玉県をぶった切る電車で、

年の瀬の足音を聞きながら、

こうして人生について考えるなどしている。

 

日々、無意識に生きている訳ではないが、

日常に忙殺され、このように何かひとつの事象に

想いを馳せる機会はそう多くない。

 

何が嬉しいかと問われれば、

何も嬉しくはないと答えるだろうし、

何が悲しいかと問われれば、

何も悲しくなどないと答えるだろう。

 

ただそこには、自分という意識が、

物質的実体としての自分を通じて、

喜んだり悲しんだりした1年が確実に存在している。

 

それに対して、御託を並べ立て、

一寸でもそれらしい形で新年を迎えようという

そういった類の取り組みである。

 

今年も大いに良いことをしたし、

大いに悪いこともした。

大いに金を使ったし、

貯金をはじめてみたりもした。

 

それだけのことを365日かけて、

せっせと行ってきた僕に、

輝かしい2017年が待ち構えていることは、

誰の目にも明らかだろう。

 

余談だが、僕は日本の文壇の最高峰に名を連ねる

約5名ほどの文章技法を完全に会得している。

 

活字のデパートとしての仕事が、

来年も僕を待ち構えていることは、

この奇妙な人生においてそう悪くないことだ。

的な。

 

p.s.

長時間の電車移動に耐えうるため、

楽な格好での帰省を試みるぼくは、毎年年末、

図らずもヨウジヤマモトやリックオウエンスに

陶酔する田舎者に成り下がる。

 

こんな格好で上越線に乗っていては、

地元のチンピラにカツアゲされるのも時間の問題だ。

 

それでは、皆々様

良いお年を。

"モードの帝王"のお話

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続、という伏線をぶった切っておりますが、自分なりに「サンローラン」の感想を忘れないうちに記しておこうという思惑で、本当は下書き機能もあるのですが、これを挟んでP-Nutの話をなかったことにしようという魂胆であります。

 

ピエール・ニネ主演の「イヴ・サンローラン」ではなく、ギャスパー・ウリエルの「サンローラン」ですので、お間違いなきよう。

 

別にかしこまって映画レビューをするつもりもなく、「※ネタバレ注意」などと大袈裟なタイトルにもしていないので、時系列順にサンローラン氏の軌跡を辿ることもなければ、映画の技法についても触れるつもりはありません。

 

まず、僕の知る限り2010年から立て続けに3本のサンローラン映画が公開されています。

 

多い。

 

2012年にエディ・スリマンがサンローランのクリエイティブディレクターに再就任し、その後の数々の改革により、常に話題を呼んでいたのは確かだが、ペースが早すぎる。

 

前述のイヴ・サンローランとサンローランの公開には1年しか間が空いていない。

 

 

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ここまで下書きして、放置し続けたことは優秀な読者のみなさまの想像に難くないだろう。

 

感想を書く前に忘れてしまった。

頑張って復帰するのだ。

僕はP-Nutになりたかったお話

社会人になって、「昔バンドやってた」大人に数え切れないほど遭遇した。

昔バンドやってた芸人も成り立つほど、自己紹介の常套句として用いられる魔法の言葉だ。

 

かくいう僕も、もれなく「昔バンドやってた大人」になり腐ったわけだが。

 

しかし、この言葉は用いられる頻度や口触りの良さとは裏腹に、恐ろしいほど中身のない言葉でもある。

 

"健全な"男子中高生であれば、(仮に本人ではなくとも)一度は経験するであろうバンドブームは、中長期的に見た人生レベルの風物詩ともいえるものであり、童貞喪失に並ぶ一種の登竜門的な役割を果たしていると僕は思う。

 

母数が多い故、その言葉はより抽象的に、より当たり障りのないものへと変化したのだ。

 

僕はこの風潮に一石を投じたい。

僕は「昔バンドやってた大人」ではなく「P-Nutになりたかった大人」なのだと高らかに宣言しよう。

 

こんな夏の日にはナンバーガールを思い出すお話

「今年は空梅雨らしい」と

電車で隣に座ったオバサマ2人組が話していた。

1ヶ月ほど前のことだ。

 

それなりに雨は降ったし、低気圧の影響で

例に漏れず頭痛薬の消費量が増えたが、

陰鬱な6月は過ぎ去った。

 

正式には、今年の関東梅雨明けは

7月中旬とのことだが、これだけ暑い日が続くと、

そんな学術上の"決まりごと"は、

ほとんど意味を成さないと感じる。

 

少なくとも僕個人で形成される小さな世界では、

間違いなく「赤いキセツ」が到来を告げた。

 

またナンバーガールの季節がやってきたのだ。